おもしろコラム 池田平太郎 立ち読み
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きぐ任だったのでしょうが、頼朝としても大消費地である京都で3万もの兵士の食糧を調達することは容易ではなく、このまま、京都に置いておくことは、木曽義仲の二の舞になる可能性が危惧されたということだったのでしょう。つまり、何でも良いからとにかく出発しろ・・・と。その後、範頼は兵糧不足などの厭戦気分から勝手に帰国しようとする御家人たちを説き伏せ、豊後国(大分県)豪族の協力などを得てようやく、兵糧と兵船を調達すると、一路、九州に上陸し、そのまま北部九州を制圧・・・。これにより、平氏軍は最後の砦とする長門国彦島(下関市)に孤立することとなってしまったわけですから平氏の滅亡はこのとき、決まったと言ってもよかったでしょう。そこへ、屋島を制圧した四国担当の義経が合流してきたわけですから、範頼からすれば、苦労しながら王手を掛けたところへの合流だったわけで・・・。結局、壇ノ浦合戦は範頼が憂慮していた通り、義経の一人勝ちのような形となってしまうも、それらのスタンドプレーは、やがて頼朝との対立を招き、結果、義経は都021 第1章 日本の歴史に学ぶ
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