見積り事典-tr
1/37

料金問題はどの業種であれ、最需要課題です。ますます複雑化する様造・機能を有する車両事故損傷の内容を正確に把握するには見積り体系の確立が不可欠です。昭和40年代は、業者の乱立による料金の値引き競争の時代でした。昭和43年に運輸省から「自動車整備料金を適正化」するよう行政指導(自整第92-2)がありました。昭和48年には、損保が、将来の料金問題の円渦化をめざして自研センターを設立、料金問題に積極的に取組を開始しました。昭和54年に損保側と日車協とで、料金の共通資料(指数方式)策定についての共同研究会を発足、現在まで実務者レベルでの研究が重ねられています。昭和56年には運輸技術審議会から「自動車の構造の進歩、変化に業界の技術が十分に対応出来ず、また、修理料金の内訳などについてユーザーに理解される説明が行われていない」と指摘されました。同年、自研センターの実測データをもとに、料金資料として指数テーブルが策定され、発行されました。翌昭和57年には、日車協が、指数テーブルを採用することを機関決定、ここに、請求側と支払い側で、共通のモノサシ=指数テーブルを使用することにより、料金を適正化する「指数方式時代」がスタートしました。同年、車体整備業界では、近代化5ヶ年計画をスタート。i整備受注の際の料金見積りの励行および料金請求の明確化に努めるものとする」ことが目標の一つに上げられ、指数方式の料金体制の普及鉱大がはかられました。平成6年に、自研センター内に各カーメーカーとの共同研究棟が完成、指数テーブル策定にカーメーカーが本格的に参画しました。その結果、新車発表から指数テーブル発行までのサイクルが大幅にスピードアップしたほか、補修塗装指数、外板修正指数、骨格修正指数なども大幅に改訂され、実用化に大きく近付きました。近年、見積りコンビュータの普及が進み、これに指数テーブルが組み込まれたことで、指数方式の普及は一気に拡大しました。コンビュータ見積りは、見積書が容易にプリントアウトされるため、見積書が書けたと勘違いしているフロントマンが増えてきた弊害も見られるようになりました。データベースや見積りのしくみがパソコンのハードデスクにブラックボックス化して内包されているため見積りのしくみや見積りノウハウのマスターが遅れていると、ベテランのフロントマンから指摘されています。若手アジャスターについても、実情は全く同じです。「はじめから、予定金額が頭にあって、見積書の内容が軽視される傾向がある。J(都内のベテランフロントマンの話)と、双方が見積り合わせの形態はとりながら、実態は指数化以前の「飯金塗装一式いくら」式の総額協定に近いものに堕ちてしまっていると嘆いています。筆者は、過去30年にわたり車体整備業界専門のジャーナリストとして見積り(料金)問題に取組んできました。また、昭和57年以降、20年間にわたり【実践見積り講座】(林孝俊講師)を全国各地で開催、延べ5,000人のフロントマンに対し見積りノウハウを伝授してきました。フロントマンが自主学習する場合のテキスト、あるいは、日常の見積り業務の中で疑問点を解消するための手引書が要請されています。そこで、これまでの各種講習や取材を通じて蓄積してきた見積りノウハウを基に「最新事故車修理見積り事典」として集大成して平成2年に発行したところ多くの業界人に歓迎され、業界の発展と専門工場の近代化に多少、役立ったと自負しています。はじめに-001-

元のページ  ../index.html#1

このブックを見る